公立高校受験お疲れッス!(何
我が高校にも後輩が数名受かってました。いや~よく頑張った。
これから私も高2になるのですが、振り返ってみると何だかこの一年間があっという間に感じます。
今まで生きてきた16年間はこんなにも長く感じるのに…ヘンですね!(殴
さて、今日はとりわけ日記に書くことも無いので、珍しく論文めいたことでも書こうかと思います。
少し難しい話になりますが…。
皆さんは、人の「運命」は変えることが出来ると思いますか?それとも最初から決まっているものだと思いますか?
―例えば、あなたの目の前に分かれ道があるとする。
あなたはふと右に行こうと思いましたが、ちょっと思い直して左に行くことにしました―
これは「運命を変えた」と言える行為なのでしょうか?
ちなみに私はそうは思いません。なぜなら、右に行こうとして左に行こうとするその行為そのものが「運命」であったと考えるからです。
私の持論では、生物の人生は、一直線のレールを決められたとおりに歩いていくようなものだと考えています。
よって、僕の意見から言わせてもらうと、「運命を変える」という言葉遣い自体が間違いではないか?と思うのです。
では、運命の定義とは何か?ということを、ちょっと自分なりに考えてみました。
恋愛モノのドラマなどで、よく「君と僕が出会うことは運命だった」とかいう台詞がありますよね。
注目して欲しいのは、この台詞、よく見ると運命のことを過去形で表現してあるところです。
何故わざわざ過去形にする必要があるのか?
その答えは簡単です。自分の未来は、そのときを迎えて初めて知ることが出来るからです。
つまり、「君と僕が出会う」という事柄が既に起こってしまった後でないと、その必然性が証明できないのです。
(当然といえば当然ですが…)
自分や他人の将来を知ることは出来ません。
もし知ることが出来たら、この世に運命という言葉は存在しなかったでしょう。
自分の将来が悪かったらどうしても変えたくなっちゃいますからね。
「運命」の定義というのは、すなわちそれが過去の事柄であること。
そもそも運命という言葉は、必然性が無いと成り立つことは無いのです。
ですから、必然性の無い未来のことを指し示すことは出来ない、というのが持論ですね。
「運命を変える」とは、一体どのようなことなのか?
私なりに、それは将来の自分の理想に少しでも近づくことが出来るように努力することだと思います。
努力を重ねていくことによって、いずれ自分の将来に対して必然性が少しずつ芽生えてくるかもしれませんね。
ぁーいい空白埋めになりました(何
とりあえず難しい論文っぽいのを残して、今日はこれにて終了にさせていただきます。
長文すいませんね~…。
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